寺宝

阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)

 元禄九年三月十四日(1696)十三世念誉圓佐和尚代に寄進されました、身丈一尺二寸の坐像です。台座裏に「武州都筑郡荏田村澁沢山」、頭部内に「相州鎌倉扇谷住仏師数馬作」とあります。


十一面観世音菩薩立像

 平安時代後期の作。秘仏。『新編武蔵風土記稿』には「長九寸、定朝の作」とあります。定朝は平安時代後期に活躍した仏師で、代表作は宇治平等院本尊阿弥陀如来坐像(国宝)です。


賓頭廬尊者坐像(びんずるそんじゃざぞう)

 元治元年八月中旬(1864)二十四世願誉大心和尚代に、尾州津島在川口氏より寄進されました。昔から「なでぼとけ」として親しまれ、像をなでると病気が治ると信仰のある羅漢像です。


閻魔大王像(えんまだいおうぞう)

 作者・年代不詳。憤怒の相が実に見事に表現されています。漆塗の工法や色調が賓頭廬尊者坐像に似ていることから同一作者とも考えられます。身丈二尺七寸五分。


涅槃図(ねはんず)

 軸心に延宝七年二月十二日(1679)十一世弁誉保残和尚代に、「芝田町札乃辻表具師庄兵衛」と記録があります。縦四尺八寸×横三尺八寸五分の絹地に肉筆で描かれた巨大な涅槃図です。


利剣の名号(りけんのみょうごう)

 利剣の名号とは「南無阿弥陀仏」の文字の先がまるで剣の切っ先のように尖って書かれているもので、経文に「利剣即是弥陀号 一声称念罪皆除」とあるように、「阿弥陀仏の救いの御力は只一声その御名をお称えしただけで、あたかも鋭い剣をふるうかのように全ての罪を滅してくださる」という教えを表したものです。

 心行寺の利剣の名号は当山第二十八世潮誉香全上人の筆によるものです。


歴代将軍家位牌(れきだいしょうぐんけいはい)

 心行寺の将軍家位牌は縦17センチ、横18センチの大きさで普段は「葵の御紋」入りの厨子に納められています。初代の家康公を中心に歴代の将軍家の「院殿号」をのみ記しています。1786年~1837年の間、第11代家斉公の治世のころ作られたものと推察されます。

 おそらく歴代の住職が将軍家の御霊を弔う目的でひっそりとお祀りしていたものと思います


額絵馬 大岡雲峰(おおおかうんぽう)筆

 文政十三年(1830)十二月、青山氏によって奉納されました。額絵馬とは、神社仏閣にお願い事をし、それが成就した際に感謝の気持ちを込めて奉納されるものです。作者は江戸時代後期を代表する文人画家大岡雲峰です。雲峰は幕府の旗本であり画家という異色の経歴を持つ人物で、谷文晁の弟子として活躍しました。当山に伝わった由来は不明で、第二十九世安田善英和尚の遺品と聞いています。東京青山の浄土宗梅窓院さまゆかりの品ではないかと思います。