涅槃図の絵解き②
摩耶夫人(まやぶにん)
摩耶夫人はお釈迦様のお母様です。画面右上、二人の天女が付き従い雲に乗ったお姿で描かれています。
摩耶夫人はお釈迦様をお産みになられて七日目に亡くなられましたが、その功徳によって帝釈天の住む世界、忉利天(とうりてん)に生まれ変わりました。
お釈迦様の臨終の報に接し、顔を覆い嘆き悲しむ姿が描かれています。
さて、摩耶夫人は何のために天界から急ぎ舞い降りたのでしょうか。
ここでは江戸時代から広く流布していた一説(『釈迦八相物語』による)をご紹介します。
お釈迦様の臨終の報に接し、摩耶夫人はお釈迦様のお命を助けんと「不老長寿の薬」を持って、天界から慌てて駆け付けました。あと一歩というところまで降りてきたところで、摩耶夫人は薬袋をお釈迦様に届けと投げました。しかし、残念なことに薬袋は沙羅双樹の枝にひっかかってしまい、お釈迦様に届くことはありませんでした。こうして命あるものは必ず滅するものだという諸行無常の理を涅槃図は伝えているといいます。
薬(衣鉢)袋
現在でもお医者さんが病人に薬を処方することを「投薬」といいますが、これは涅槃図の摩耶夫人の故事によると言われています。
しかし、沙羅双樹にかかった袋は薬袋ではなく、お釈迦様の持ち物を入れた「衣鉢袋」とする説(『慈雲尊者全集』)もあり、その根拠として錫杖(しゃくじょう)が描かれている構図も多数あるなど、これからの涅槃図研究が待たれます。
阿那律尊者(あなりつそんじゃ)
阿那律尊者はお釈迦様の十大弟子の一人です。画面の上部中央よりやや左に雲に浮かぶ蓮台に乗ったお姿で描かれています。
阿那律尊者は浄飯王の弟(白飯王)の子とされ、お釈迦様とは従兄弟に当たります。お釈迦様のご臨終を見極め、その後の葬儀一切を実質取り仕切ったのは長老の一人阿那律尊者でした。
阿那律尊者は、出家されたころ仏前で座睡し、お釈迦様のお叱りを受け、不眠の誓いを立てられました。その為失明されましたが、ついに「天眼第一」と称されるほど心の眼を開かれました。
阿那律尊者はお釈迦さまのご臨終に際し、急ぎ忉利天に昇りいきさつを摩耶夫人にご報告しました。今、摩耶夫人を先導し天界から降りてきたところです。
<参考文献>
WEB版新纂浄土宗大辞典
WEB版 絵解き涅槃図 - 臨黄ネット
『よくわかる絵解き涅槃図』 竹林史博著 青山社
心行寺の涅槃図は縦270センチ×横160センチの絹地に肉筆で描かれた巨大な涅槃図です。軸心に延宝七年二月十二日(1679)十一世弁誉保残和尚代に、「芝・田町・札乃辻・表具師庄兵衛」と記録があります。
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